【艦これ】2019秋イベ E3 ジャワ海/スラバヤ沖 【激突!スラバヤ沖海戦】
<目次>
※管理人の攻略難易度は「甲」作戦です。他難易度の場合は敵編成やルート条件に変化が出る可能性があります。
通常艦隊での出撃(札:蘭印作戦)
第1ゲージ攻略
編成
第1、第2を史実艦から12隻構成するにあたり、参加艦唯一の空母、龍驤を入れています。艦戦のスロット数は機数としては少ないですが、全マスで制空権を確保し十分な航空攻撃力を発揮してくれます。
第2は3隻を先制対潜、残り3隻を夜戦担当と割り振り、固いボスを打ち漏らさないようにしています。
※注…E6にてソロモン史実艦の夕立に大特効が認められています!管理人は先行して使ってしまいましたが、これからの人は潮や漣あたりと交代してください!
上記編成での想定ルート
スタート→C(戦闘なし)→D(潜水)→E(潜水)→G(水上)→J(水上)→M(水上・ボス)
ボスは重巡ネ級改です。通常のネ級やネ級エリートをはるかに上回る耐久と、姫級並みの装甲を持ち、装甲を破れないと苦戦します。
龍驤がいるため最短は通れず、潜水が2戦に増えますが、その分先制対潜の対策が生きるのと、連合での水上戦闘は比較的楽なので、道中も過度な心配はいらないと思います。
不安であれば支援を出しましょう。
第2ゲージ攻略
編成
第1ゲージから変更する必要がありません。掘りもある状況である意味助かりますね。
上記編成での想定ルート
スタート→C(戦闘なし)→D(潜水)→E(潜水)→G(水上)→J(水上)→L(戦闘なし)→O(水上・ボス)
ボスは戦艦水鬼(・壊)ということで18冬E7第1ゲージの壁や、19春E4フレッチャー掘り最大の障害ということでトラウマの人も多いと思いますが、このE3に限って言うと、随伴が大したことない分、夜戦までに随伴を片付けておけば、特効艦3隻が夜戦火力を発揮できればあっという間に片付きます。人によっては決戦支援すら不要です。
報酬(甲)
勲章、緊急修理資材×4、6inch連装速射砲Mk.XXI(★+4)、Bofos15cm連装速射砲Mk.9改+単装速射砲Mk.10改 Model1938、軽巡洋艦「Perth」
艦これ初実装となるオーストラリア艦娘、軽巡パースが全難易度共通の報酬となります。
ドロップ
Oマス・軽巡洋艦「De Ruyter」
史実考察
スラバヤ沖海戦
現在のインドネシア共和国第二の都市、ジャワ島東側のスラバヤの沖合で、日本海軍と連合軍ABDA艦隊の間に発生した戦闘です。
すでにジャワ沖海戦やバリ島沖海戦で損耗したABDA艦隊はジャワ島東部に日本軍襲来との情報を受け東部スラバヤから出航し、迎撃体制へ。
しかし度重なる出撃で疲弊したABDA艦隊は損傷艦を係留したため数的にはさらに不利となり、また味方機雷に触れて損傷してしまうなど、混乱をきたし、最終的には巡洋艦3隻、駆逐艦6隻を失い大敗。
逆に日本軍は、朝雲、徳島丸の大破のみでほぼ完勝、ジャワ攻略は順調に進む結果となりました。
この戦いのキーとして駆逐艦雷によるE級駆逐艦「エンカウンター」による敵兵救助の話があります。
エンカウンターも前述の攻撃で沈没、乗員はサメも徘徊する海でがれきにつかまり漂流するという過酷な状況に置かれていました。
そこへ雷がとおりかかり、工藤艦長は救助を命令。200名あまりしか乗れない雷に400名以上の英国兵を乗せ、敵兵でありながら賓客としてもてなしました。工藤艦長は家族などにもそのことを告げずにそのまま1979年に亡くなってしまいましたが、遺族の方や日本国民がそれを知ったのはエンカウンターのフォール卿が1998年にタイムズ紙にその話を掲載してから知られるようになりました。
また、スラバヤ沖ではジャワの生存者が江風に、エセクターの生存者が山風、電に救助されるなど、敵味方の壁をこえた救助活動によって多数の連合軍兵士が各々の国へと帰国することができました。
電の夜戦開始ボイス「 沈んだ敵も、出来れば助けたいのです… 」はこのスラバヤ沖海戦の一連の救助活動がもとになっていると思われます。
マップ構成
ABの位置がE2に引き続きケンダリー、Kマス付近がスラバヤの街があるあたりとなります。
参加艦(19秋イベまでの実装艦)
日本海軍
- 第五戦隊 重巡洋艦 那智、羽黒
- 第七駆逐隊第一小隊 駆逐艦 潮、漣
- 第二十四駆逐隊小隊 駆逐艦 山風、江風
- 第二水雷戦隊 軽巡洋艦 神通
- 第十六駆逐隊 駆逐艦 雪風、時津風、初風、天津風
- 第四水雷戦隊 軽巡洋艦 那珂
- 第二駆逐隊 村雨、五月雨、春雨、夕立
- 第九駆逐隊小隊 駆逐艦 朝雲、峯雲
- 別動隊 重巡洋艦 足柄、妙高(妙高はB-17の爆撃による損傷で後送)
- 主隊附属 駆逐艦 雷、電、曙
- 第四航空戦隊 軽空母 龍驤
- 第四航空戦隊附属 駆逐艦 敷波
ABDA艦隊
- 軽巡洋艦 デ・ロイテル、パース
- 重巡洋艦 ヒューストン
軽巡洋艦「デ・ロイテル」
艦これ初実装となるオランダ海軍の軽巡洋艦「デ・ロイテル」です。
多くの巡洋艦で標準装備されていた高角砲や魚雷を持たず、代わりにボフォース社製の行革を大きく取れる15cm速射砲、40mm機関砲、12.7mm機銃で武装しどちらかというと防空巡洋艦的な設計がなられた軽巡になっています。
開戦後、ABDA艦隊の一員となり、蘭印作戦で侵攻してきた日本海軍と3たび会敵(ジャワ沖、バリ島沖、スラバヤ沖)
しかし、スラバヤ沖海戦では重巡那智、羽黒の酸素魚雷が命中し、あえなく撃沈され座乗していた現地司令官のカレル・ドールマン少将や艦長も戦死。生存者は雪風に救助され病院船に引き渡されました。
軽巡洋艦「パース」
こちらも初実装となるオーストラリア海軍の軽巡洋艦「パース」です。
上述のデ・ロイテルと合わせて艦これ10か国目の実装となります。
とはいえ、基本設計はイギリス海軍のリアンダー級軽巡洋艦の後期型と位置付けられている資料も多くあり、パースも元々はHMSアンフィオンという名前でイギリスで建造されました。そこから南アフリカ、欧州作戦に参加。ザラ・ポーラが撃沈されたマタパン沖海戦にも参戦しています。
オーストラリアに戻ったのち、日本と米英が海戦状態に入り、英連邦下のオーストラリアも連合国側へと加わり、パースもABDA艦隊に合流。
スラバヤ沖海戦、バタビア沖海戦2つの戦いで日本海軍と交戦もバタビア沖海戦でヒューストンとともに撃沈されました。
ヒューストン乗組員同様、パースの生存者も捕虜として泰緬鉄道の建設に動員されて過酷な労働を強いられたり、移送中にヒ船団で移送中に味方であるはずの米潜水艦の攻撃を受けてなくなるなど、スラバヤ沖で救助された将兵たちとは対照的な運命をたどっています。